農業に生きがいを見出した、とあるオタクの日記。
何かを作る事に没頭できる百姓はまさに俺の天職!!
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FATがヲタ道に転落?していくキッカケを綴ったネタ日記、題して「FATのヲタク遍歴」です。
元ネタはこの方の日記から拝借しました。苦情が来たら削除しますが、慈悲の心で見逃してください(大汗
100%ノンフィクションですが、ネタだと思って見ていただけると幸いです。
それでは始まりはじまりーー
2001年春。
大学進学のために故郷を離れて一人暮らしを始めた僕だったが、開始2日目にて早くもホームシックになっていた。
異郷の地に一人。友達もいなければ知り合いもいない。同郷の仲間も同じ地に進学していたのは知ってはいるが、如何せん連絡先を知らない。慣れない街を彷徨うほどの地理感も無い。完全に手詰まりである。まさに、ぼっちなのである。夢にまで見たキャンパスライフが始まる前から、僕の大学生生活は暗雲立ち込める危ういものになっていた。
当時の僕はまだかろうじて一般人のカテゴリーに分類される方だった(と思う)。ゲームは好きだったが、有り余る時間を全て注ぎ込むほどの熱意は無かったし、何よりインターネットがまだ生活に浸透していなかった時代である。当然僕の部屋にもその環境はなかった。インドア派にもアウトドア派にも属せない僕は、ふと暇な時間ができた時の孤独感を誤魔化すことが出来ず、かなり悲惨な状態になっていたと思う。
そんな時間を過ごしたせいか、入学式以降は積極的に友人作りに奔走した。無論、社交性が乏しい自分にとってはとてもプレッシャーになったものの、ぼっちよりはマシである。幸い、束の間の孤独を体験した多くの入学生が、何とか自分の所属するコミュニティーを形成しようとする動きが追い風にもなり、僕も何人かの友人と呼べる仲間に出会うことが出来た。ちなみに、この時の仲間で今でも交流があるのはたった一人だけ。このことからも、如何に「誰でもいいから友達つくっとけ」みたいな雰囲気になっていたかが分かる。分からない人はいないよね?「気心が知れるたびに疎遠になる」現象が僕だけに起こったものでないことを切に祈りたい。
そして、いよいよ大学の講義が始まった訳なのだが、僕の通っていた大学には初年度からいきなりゼミ形式の必修科目があった。簡単に言うと、とりあえず教授1人につき25名くらいの学生を学籍番号順に割り振るからあとは適当に何かしてね♪という、まさに「友達作り応援科目」とでも言うべき科目だったのだが、これが非常にありがたかった。固定されたメンバーだと定期的に交流が持てるし、その中から気の合う友人が出来れば、友人の友人へと幅を広めることが出来る。何より、学籍番号は単純に氏名のあいうえお順である為、男女混合なのである。深まる友情、芽生える恋。僕の頭の中は都合のいい妄想が源泉の如く湧き上がっていた。無論、これはチャンスだ!と息巻いたのは言うまでもない。
さて、待ちに待ったその科目の第1回目。着々と集まる受講生の面々。そして徐々に心を満たし始める「オレ、本当にこの中に溶け込めるんだろうか…?」という不安。そしてその不安が見事的中!
まず、女子より男子の方が多い。男子は体育会系のイケメン揃い。女子は地味目で、あまり男に興味なさそうなのが殆ど。
もうパニック状態である。男子にも女子にも相手してもらえないんじゃないかという、別の不安が思考を支配する。ここにいる全員が始めて会った者同士のはずなのに、なんだか派閥が出来てもう既にハブられているのではないか?という疑惑さえ頭をよぎる。
何故だ??オシャレもしたし、美容院で髪型だって変えた。体重だって適正より少し多いくらいで充分いけるはず。何がまずいのだ??これか、(※1)シュプリームの上下に(※2)D,C,Shoeのスニーカーが既に流行遅れのファッションなのか??(※3)ストリートジャックは最早、退役軍人の如きファッション雑誌なのか??
まるで雛見沢症候群Lv5を発症したかのごとく疑心暗鬼にとらわれていた僕だったが、教授と共に入室してきた最後の受講生を見て、思わず「救世主(メシア)や!!!」と心の中で奇声をあげてしまった。
ボサボサの頭と顎鬚、ヨレヨレの服、冴えない感じのオーラ。「大学生活になんて何の興味もありませんが何か?」とでも言いたいかのようなやる気の無い態度。自分の目指す方向とは真逆なはずのその人物を前に僕は、何故か最後の最後に自分と同類の人が現れたことに対する安堵の気持ちを覚えたのだった。類は友を呼ぶとはまさにあのことかもしれない。
今になって思えば、この時点で華麗な大学生デビューを誓ったはずの僕の学生生活は、あっという間に終わりを告げていたように思う。にも関わらず、別の意味でのデビューを果たすことになるとは夢にも思っていなかったのだから、おめでたいと言う外ない。
こうして僕は、同士でもあり、先輩でもあり、戦友でもあるyan君との出会いを果たしたのだった。
続く。
※1…スケーターファッションみたいなゆったりとしたシルエットのブランド。当時は「裏原宿系」とか言われて、すぐに完売してプレミアがついた。
※2…スケーターたちがこぞって愛用していたスニーカーブランド。ムラサキスポーツとかで売ってた。
※3…ファッション雑誌。ラフなストリート系の服をメインに紹介していた(はず)
元ネタはこの方の日記から拝借しました。苦情が来たら削除しますが、慈悲の心で見逃してください(大汗
100%ノンフィクションですが、ネタだと思って見ていただけると幸いです。
それでは始まりはじまりーー
2001年春。
大学進学のために故郷を離れて一人暮らしを始めた僕だったが、開始2日目にて早くもホームシックになっていた。
異郷の地に一人。友達もいなければ知り合いもいない。同郷の仲間も同じ地に進学していたのは知ってはいるが、如何せん連絡先を知らない。慣れない街を彷徨うほどの地理感も無い。完全に手詰まりである。まさに、ぼっちなのである。夢にまで見たキャンパスライフが始まる前から、僕の大学生生活は暗雲立ち込める危ういものになっていた。
当時の僕はまだかろうじて一般人のカテゴリーに分類される方だった(と思う)。ゲームは好きだったが、有り余る時間を全て注ぎ込むほどの熱意は無かったし、何よりインターネットがまだ生活に浸透していなかった時代である。当然僕の部屋にもその環境はなかった。インドア派にもアウトドア派にも属せない僕は、ふと暇な時間ができた時の孤独感を誤魔化すことが出来ず、かなり悲惨な状態になっていたと思う。
そんな時間を過ごしたせいか、入学式以降は積極的に友人作りに奔走した。無論、社交性が乏しい自分にとってはとてもプレッシャーになったものの、ぼっちよりはマシである。幸い、束の間の孤独を体験した多くの入学生が、何とか自分の所属するコミュニティーを形成しようとする動きが追い風にもなり、僕も何人かの友人と呼べる仲間に出会うことが出来た。ちなみに、この時の仲間で今でも交流があるのはたった一人だけ。このことからも、如何に「誰でもいいから友達つくっとけ」みたいな雰囲気になっていたかが分かる。分からない人はいないよね?「気心が知れるたびに疎遠になる」現象が僕だけに起こったものでないことを切に祈りたい。
そして、いよいよ大学の講義が始まった訳なのだが、僕の通っていた大学には初年度からいきなりゼミ形式の必修科目があった。簡単に言うと、とりあえず教授1人につき25名くらいの学生を学籍番号順に割り振るからあとは適当に何かしてね♪という、まさに「友達作り応援科目」とでも言うべき科目だったのだが、これが非常にありがたかった。固定されたメンバーだと定期的に交流が持てるし、その中から気の合う友人が出来れば、友人の友人へと幅を広めることが出来る。何より、学籍番号は単純に氏名のあいうえお順である為、男女混合なのである。深まる友情、芽生える恋。僕の頭の中は都合のいい妄想が源泉の如く湧き上がっていた。無論、これはチャンスだ!と息巻いたのは言うまでもない。
さて、待ちに待ったその科目の第1回目。着々と集まる受講生の面々。そして徐々に心を満たし始める「オレ、本当にこの中に溶け込めるんだろうか…?」という不安。そしてその不安が見事的中!
まず、女子より男子の方が多い。男子は体育会系のイケメン揃い。女子は地味目で、あまり男に興味なさそうなのが殆ど。
もうパニック状態である。男子にも女子にも相手してもらえないんじゃないかという、別の不安が思考を支配する。ここにいる全員が始めて会った者同士のはずなのに、なんだか派閥が出来てもう既にハブられているのではないか?という疑惑さえ頭をよぎる。
何故だ??オシャレもしたし、美容院で髪型だって変えた。体重だって適正より少し多いくらいで充分いけるはず。何がまずいのだ??これか、(※1)シュプリームの上下に(※2)D,C,Shoeのスニーカーが既に流行遅れのファッションなのか??(※3)ストリートジャックは最早、退役軍人の如きファッション雑誌なのか??
まるで雛見沢症候群Lv5を発症したかのごとく疑心暗鬼にとらわれていた僕だったが、教授と共に入室してきた最後の受講生を見て、思わず「救世主(メシア)や!!!」と心の中で奇声をあげてしまった。
ボサボサの頭と顎鬚、ヨレヨレの服、冴えない感じのオーラ。「大学生活になんて何の興味もありませんが何か?」とでも言いたいかのようなやる気の無い態度。自分の目指す方向とは真逆なはずのその人物を前に僕は、何故か最後の最後に自分と同類の人が現れたことに対する安堵の気持ちを覚えたのだった。類は友を呼ぶとはまさにあのことかもしれない。
今になって思えば、この時点で華麗な大学生デビューを誓ったはずの僕の学生生活は、あっという間に終わりを告げていたように思う。にも関わらず、別の意味でのデビューを果たすことになるとは夢にも思っていなかったのだから、おめでたいと言う外ない。
こうして僕は、同士でもあり、先輩でもあり、戦友でもあるyan君との出会いを果たしたのだった。
続く。
※1…スケーターファッションみたいなゆったりとしたシルエットのブランド。当時は「裏原宿系」とか言われて、すぐに完売してプレミアがついた。
※2…スケーターたちがこぞって愛用していたスニーカーブランド。ムラサキスポーツとかで売ってた。
※3…ファッション雑誌。ラフなストリート系の服をメインに紹介していた(はず)
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